北欧家具を扱うスカンジナビアンリビング
(青山)で、ボーエ・モーエンセンの
お話を聞いてきました。
お話くださったのは、羽柴健さん。
北欧家具の生き字引と称される羽柴さん。
デンマークのデザイン大国への歴史を
国策・デザイナー・家具の観点から
わかりやすくとっても面白く
ご説明くださいました。
伺ったお話は主に以下の3つです。
1.国策とボーエ・モーエンセン
2.ボーエ・モーエンセンの家具
3.ハンス・J・ウェグナーなどのデザイナーとの関係
1.国策とボーエ・モーエンセン
1920年以前、デンマークは英仏伊等の
家具のレプリカを製作していた。
このままでは700社ある木工会社が
生き残れない危機感から、国策で
デンマーク発祥の家具製作を決意。
そのため、国がデザイン学校をつくり、
過去のデザインに学びデンマークの
DNAを埋め込むことにした。
家具の販路を確保するため、全国に
販売店があり生活雑貨や車など
何でも売っていたFDBに販売を依頼。
FDBの家具デザイナーに起用されたのが
ボーエ・モーエンセン。
デザインした家具の製造を担うのが
ホウキやシャベルなどをつくる会社
だったため、その技術でできる椅子を
検討。
「必要最小限の部材で一般庶民が使える高品質な椅子をつくる」
こうして生まれたのがJ39
(通称ピープルチェア(みんなの椅子))。
4つの部材のみで構成されている。
地方からコペンハーゲンに出稼ぎに来た
労働者を対象に、家具とセットで暮らし
の提案をすることで浸透していった。
また、アメリカなど海外へも販路を広げ、
デンマークデザインを確固たるものにしていった。
2.ボーエ・モーエンセンの家具
FDBを離れて5年程は独立し、
ハンティングスツールや
ハンティングダイニングチェアを製作。
1950年代にフレデリシア社から引き抜かれ、
スパニッシュチェアやNo.1ソファを製作。
No.1ソファはクッションを外すとデイベッド
にもなり、同じ部屋を多用途で使える工夫が
されていた。
1970年頃ヒッピーな時代の影響を受け
カジュアルな椅子もデザインするもお蔵入り。
そのデザインが2年前に製品となり
キャンバスチェアとして発表された。
3.ハンス・J・ウェグナーなどのデザイナーとの関係
ボーエ・モーエンセンは
コーア・クリントから学び、
デザイン学校時代にハンス・J・ウェグナーに
出会った。
ハンス・J・ウェグナーはアルネ・ヤコブセン
の元で働き、ボーエ・モーエンセンは大学に
進むが、ハンス・J・ウェグナーとは
親友関係を維持した。
シェーカーのロッキングチェアを2人で採寸し
ウェグナー初のロッキングチェアが誕生した。
モーエンセンは、ウェグナーの影響で家具に
異なる樹種をミックスして製造するように
なった。
羽柴様は、ハンス・J・ウェグナーご自身や
ボーエ・モーエンセンのご家族から
直接伺ったお話をしてくださるので、
話がリアルで映像美にあふれていて
生きたデザインの学びをさせていただきました。
これまで、イス単体で学んでも深まらなかった知識が
デザイナーやその時代の背景をお話いただいたことで
自然とつながっていくのを感じました。
デザイナーと時代背景を学ぶことで、
今の暮らしに役立つヒントを探っていきたいと思います。
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